秋が深まってきた。

昨日は初めて行く街で喫茶店をハシゴした。
1軒目は珈琲林檎、2軒目は炭火焙煎珈琲ぶな。
どちらのお店でもコーヒーとチーズケーキを頼み、しっぽり食べながら読者が捗る。母に借りていた、最相葉月さんの「母の最終講義」を読了。
親のこと、人との繋がり、社会の繋がりを深く感じて、とても沁みて、なぜだか切なくなった。

家に帰って、お菓子の缶にぎっしり詰め込んでいた母からの手紙の数々を久々に開いて読み返す。転勤して5年。何通手紙があるか、数えるのも億劫になる数だ。これと同じだけの手紙が、母の手元にもあるということ。とはいえ、同棲してからはその数もすっかり減った。
最近は公私共に忙しくなったことに怠け、上京してから期間が開くとともに物理的な距離もでき、お互い手に取るように息遣いまでわかり合っていた私たち母娘も、さすがに少しずつわからないことが増えた。
母は今の私の業務内容がイマイチ理解しきれず肚に落ちないようだし、私は母の最近の勤務形態や何曜日が忙しいのか、わからなくなってしまった。
上京しても変わらず仲良いけれど、色々な人を見る中で私は、我々親子のいきすぎた過干渉ぶりに気づいたり、母の偏った思考を客観的に捉えられるようにもなったし、今や義理の家族との関係構築も新たに増えた。
良くも悪くもそんな私の変化と自立に対し、少なからず母は、距離が空きすぎたことを寂しがっている。そしてそのことに、私はとっくに気づいている。
もう両親とも若くないし、私たった1人しか子どもがいないのだ。
たくさん対話をして、思い出を作って後悔しないようにしたい。
よく考えれば、結婚式は挙げないし、結婚の前に同棲していたし、それ以前に上京していたから、きちんと親に挨拶することなく嫁いだことになる。三つ指ついて「今までお世話になりました」の挨拶もしていないし、花嫁の手紙を読む機会もない。せめて、少し気持ちを伝える場は設けたい。
もう少ししたら、ブライダルフォトの撮影があり、両親がこちらに来てくれる。
その時に渡すべく、今晩あたりにゆっくりと手紙をしたためよう。