気がつけば冬が終わり、春が来て、もうすぐ夏に差し掛かろうとしている。経過は順調で、まもなく妊娠9か月に突入する。
色々と変わったこともあるけど、とても穏やかに過ごすことができている日々に心から感謝したい。
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はじめに通っていた産院は個人経営の病院で、淡白な男性の院長は初めこそ冷たく感じて怖かったけれど、いつも冷静で、絶対期待させないし、無駄に不安も煽ることなく、淡々とした診察スタイルは信頼できた。この病院は分娩に対応する施設を持たないので16週で転院になるのだけど、転院前の最後の検診の時に、ものすごくじっくりエコーをしてくれた。「大きな病院だと絶対こんなにゆっくりエコーなんてしてくれないよ。全員にこれぐらい丁寧にエコーしたら人気の病院になれるんだけどなぁ」と笑って、「これからも頑張ってね」と送り出してくれたのがものすごく印象的だった。
つわりが始まるタイミングで母子手帳をもらいに行くことになり、近くの包括センターに向かった時は、対応してくれた社会福祉士の方にずいぶん温かく迎え入れてもらった。私の体を気遣い、我々夫婦共に実家が遠方ですぐに支援が受けづらい状況を気遣い、仕事との両立を労い、たくさん共感してもらった。いつでもおしゃべりしにきていいからね、と言われたことがどんなに心強かったか。東京の子育て支援政策がすごすぎて、さすがにそれには劣るところがあるけれど、金銭面の支援以上に、近くの地域包括センターが頼りになることがありがたい。
定期的にクリーニングに通う歯科では、妊娠したことを伝えると念入りにチェックしてくれた。妊娠すると口内環境が悪化するというのはよく聞く話。いつも担当してくれる女性の歯科衛生士さんは子持ちママとのことで、体調を気遣ってくれたり、おすすめのベビー用品を教えてくれたりと話が弾んだ。「性別はわかったの?」と聞かれて伝えたら、想像以上に喜んで盛り上がってくれた。次回の診察日を決める時も、体調や分娩予定日を考慮した日付を提案してもらい、また優しさに触れた。
驚くべきは電車通勤だったかもしれない。
つわり真っ只中の時期も、非情にも会社規定の週3出社は死守せねばならず、8時間PC作業で画面酔い、往復2時間の電車通勤で、車内でいつ具合が悪くなってもおかしくない綱渡りの状態だった。安定期に入ってからはすっかりピンピンしていたけれど、後期に入ると今度はお腹が大きくなり、物理的な苦しさ、息切れ、眠気でフラフラ。
誇張でもなんでもなく、本当に妊婦は優先されたいときがあるのだなぁと真に理解した瞬間だった。
これまでの自分の浅はかさ、想像力の欠如を心から恥ずかしく思った。妊娠したいのになかなか実らなくて、ずっと妊婦を見るのが嫌だった。マタニティマークを見ると惨めになって、妊婦に対して意地悪い気持ちが湧いた。妊娠できただけで恵まれてるんだから、席に座れないくらいなんてことないでしょ。私だって仕事でクタクタだし、この電車に乗るために並んでいたのだ、と思って、見て見ぬ振りで席を譲らなかったことがある。それも一度ではなく、だ。
だから、自分が思わぬ幸運で妊婦になれた今、どんなにしんどくても席を譲ってもらうことは願うべきではない、そんな資格はないと思っている。
どうしたらいいかわからなくて、なるべく優先席に近づかなかったこともあるし、マタニティマークを隠して乗ったこともある。妊婦様だな、と思われていたらどうしよう。違うんです、席を代れと圧をかける目的ではありません、と心の中で呟いてみたり。
でもずっとそんなわけにはいかず、マークをぶら下げたまま優先席付近に立つと「譲ってくれ」と圧をかけているようで辛くなり、かと言って優先席があるのにわざわざ普通席の前に立つのも余計に心苦しくて、毎回どんな気持ちで電車に乗ればいいのか混乱して、かなりストレスだった。
しかし、実際のところ、街の人たちは思っている10倍優しくて、何度も何度も席を譲ってもらった。お兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、老若男女問わず、だ。目の前に座っている人が譲ってくれることもあれば、遠くからでも声をかけて譲ってくれることもあったし、優先席が空くと他の人が座らないようにガードした上で声をかけてくれた人もいた。もちろん、優先席でパンを貪り食う学生とか大股開きで爆睡する健康そうな爺さんとかもわんさかいるんだけど、そういうのが普通かな、都会なんて…と思っていたから、こんなにも理解がある人が多いことに、なんだか感動と感謝と、これまでの自分の心無い行動への懺悔が押し寄せた。
席を譲ってくれた人にはもれなく、幸せなりますようにと祈りをかけてまわった。
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そんな風に、穏やかに日々は過ぎた。
私は私で、つわりがひどいと絶望で落ち込み、つわりが軽い日は流産したのではと全てが手につかなくなり、安定期に入ると無症状ゆえに胎児の生存が常に不安になり、胎動を感じ始める時期になると、数時間胎動が感じられないことに信じられないほど動揺して、胎動が激しくなってきた時期になると、股からの流出が尿がおりものか破水か分からず、夜間に病院に駆け込む始末。(結果はただのおりもの、30週で破水なんてほぼあるわけなく、心配し過ぎなのは分かってる…)
準備物は早めに用意して直前でバタつきたくない性分だけど、ベビーグッズだけはなかなか足が動かなくて、結局後期に入ってからバタバタと少しずつ買い集めることになった。万が一流産したら。万が一死産になったら。SNSで、34週で死産になりました、39週で…という投稿を目にすると、今でもまだ震えがくるし、SNSのアルゴリズムは強靭で、同じような投稿が数珠繋ぎに現れて、余計に不安を煽ってくる。死産とか障害とか、もはや確率論の事象なので、今日道を歩いていたら車に轢かれて死ぬかもしれない、というのと同じなのに。だからって、轢かれたくないから外出しませんなんてありえないのに。それなのに、出産のことになると不安でたまらなくなるのはどうしてだろう。健康に産み落とすまで、私は心の底から安心することはできないのだろう。妊娠期間は十月十日、そんな長い間ずっと不安を抱えきれないでしょ、と思っていたけれど、結果的にここまでの8か月、ずっとずっと不安で、不安を抱えることが日常の一部のようになっていた。もはや才能かもしれないとまで思う。もともと心配性で悩み性である自覚はあったけれど、ここまでとは自分でも呆れる。これじゃあ生まれた後もノイローゼまっしぐらだ。
とはいえ、私の不安をよそに子どもは順調に成長してくれている。不安な私を宥めるかのような、親孝行な子だと思う。転院先の病院は大病院なので、患者が多く、常にトリアージされている。とりわけ順調な経過である自分は、病院の診察は後回しになりがちだし、診察も短時間で、私にとって我が子と会える貴重な妊婦健診の時間は機械的に効率的に捌かれていく。でも、それもこれも問題がないからこそ。皮肉なものだ。
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妊娠期間中の仕事もなかなか苦慮した。
物理的にはオフィスワークだし、周囲の気遣いのおかげもあって働きやすかったのだけど、チーム内の結束や部署間のいざこざは引き続き続いていた。もう今のチームは嫌だと思って、他チームのマネジャーにコンタクトを取って異動の内定ももらっていたのだが、その矢先に妊娠が発覚し、進路は絶たれた。もちろんチーム異動なんかの1億倍妊娠が嬉しかったから結果オーライなのだが、しんどい状況が産休まで続くと思うと萎えた。さらにその直後、出向者の受け入れもあり、別会社の異文化によるカルチャーショックで色々と手を焼いた。良くも悪くも刺激のある日々を、お腹の子と共に過ごしたことになる。仕事でどんなに気持ちが沈むことがあっても、お腹がポコンと動くと、あぁ、私1人ではない、この子も一緒に仕事している私を支えてくれているんだなと思うと、なんとも言えない愛おしい気持ちが湧き上がって、そっとデスクの下でお腹を撫でたことも数知れず。そんな日々も、2週間後の最終勤務日で終わりかと思うと、ちょっと寂しい気もしている。
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夫は言葉より行動偏重の人。言葉ではあまり語らないけれど、行動の端々に、喜びが透けて見えるのがとても嬉しい。
ある日、図書館で「パパの育児の疑問108」みたいな本を借りてきて、付箋をつけながら読んでいたことを私は知っている。私が今妊娠何週目なのかをきちんと把握していた時には大層驚いた。パパ用の妊娠アプリを自発的にインストールしていたらしい。胎動が感じられようとそうでなかろうと、いつもお腹を触って話しかけてくれる。なんでも放任的な彼が、名付けには積極的に意見を出した。結果的に私と彼で一文字ずつ出し合って組み合わせた名前がとてもしっくりきている。
私が旦那の立場なら、自分の体になんの変化も起こらない妊娠というイベントを、ああしてちゃんと自分ごととして捉えて行動を起こせるだろうか。
かと言って、積極的に家事を代わってくれているかというと、それはまた別の話なので、全然完璧オットと言うわけではないのだけれど、十分気持ちは伝わっている。
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先にも書いた通り、無事に産むまでは、100%の底抜けな安心や幸せを感じることは、私の性分では難しそうだけど、ここまできたらもう戻れない、進むしかないという潔い気持ちで、ちょっと清々しい。
今できることといえば、適度に体を動かし、呼吸の練習をすることだろうか。不安と恐怖を、会えることへの期待と喜びに変換して日々を過ごしたい。
早く会いたいな。そのためにお互い後少し頑張ろうね。







































