本日も在宅勤務。9時の始業ギリギリに起きる。
暑さと疲れと生理のダルさもあるので、早起きできない自分を責めずにほどよく向き合う。
夏になると日照時間に引っ張られるかのように、気持ちも前向きになる。
色々思うことはあっても、前に進むために何ができるか考えて、進んでいけそうな気がしている。このバイオリズムを崩さずにいたい。
昨夜、仕事を早めに終えて、散歩がてらイトーヨーカドーで生鮮食品の買い物をしていたら見つけた冷凍食品。1つのプレートで一食が完結する豪華な一皿。

在宅勤務の昼ごはんにはいつも頭を悩まされるけれど、これはまさにぴったりだと購入。私はカツとじとひじきご飯、相方は酢豚と炊き込みご飯。400円足らずで買えるのだから割安だと思う。申し訳程度のトマトとおかずプレートを、耐熱のトレーに乗せたら給食みたいになってしまった。
落ち着く味でホッとする。たまにはこういうのも良いよね。“手抜き”ではなく“手間抜き”ということで。
仕事のお供のコーヒーは、外ではアイスコーヒー、家ではホットで飲んでいたけれど、流石に暑くて家でもアイスに切り替える。ビーカーにたっぷり作って冷やし、アメリカンなアイスコーヒーで頭を冷やす。

職場では、そろそろ9/1が近づいてきたのを契機に防災強化週間が始まる。連絡先を書いた紙を財布に入れたり、相方と別の場所で被災した時の合流場所を調べたり。今日みたいに互いに在宅勤務であればいいけれど、離れている時だと不安だなと思う。今の場所に引っ越して1年、まだ避難所に示された場所がいまいちピンと来ていない。これはまずい。近いうちに散歩がてら周辺を歩こうと誓う。
夕飯後に、暑さ避けに買ってあった目元用の冷えピタシート(使用後)で、小学生のようなくだらなさすぎる遊びをする。臍が良い感じに不満そうな口を作り出している。不平不満タラタラの、なかなかな面構え。お目汚し失礼しました。

アホな遊びを終え、明日からの連続出社に備えてご飯の作り置き。音楽を聴きながらの炊事は私の中の割と上位の趣味だ。毎度のことながら、聞き流すのはヒゲダンで、好きなアーティストだというのはもちろん、先日アルバムをリリースしたばかりなので、耳慣らしのためにも音を浴びている。が、アルバムの良さもさることながら、流れでかかった「アポトーシス」という曲があまりにも良くて、炊事の手を止め聞き入ってしまった。前回アルバム収録曲で、3年も前にこの世に出た曲だというのに、きちんと向き合って聴くのは今回が始めてだった。
生死観や、残された人生をどう生きるか、みたいなテーマを、「プログラミングされた細胞の死」という意味のアポトーシスという言葉になぞらえたバラードなのだが、何というか、とにかく歌詞がいい。
6分半もある曲なのに、歌詞を見て、YouTubeのMVを観て、さらに聴きながらYouTubeのコメント欄もほとんど読んで、いったい何回聴き返したかわからない。とにかく染み入るので、どうか聴いてみてほしい。
年老いることを、「ロウソクの増えたケーキも食べ切れる量は減り続ける」と言ったり、大切な人との別れの間近を「別れの時までひと時だって愛しそびれないように」と表現するそのセンスに脱帽するし、抜群の語彙力によって、日本語って素敵だなと誇らしい気持ちにさえさせてくれる。
楽しい、嬉しい、辛いなどという単純な形容はせず、情景を浮かばせる芸術性は詩人のようだとも思ったり。私もそんなふうになりたいな。せっかく日本人に生まれたのだから、素敵な日本語をたくさん駆使して、素敵な言葉や表現に触れたいし、できることなら自身も素敵な言葉を紡ぎたい。
歳の近い人がこうして輝いていると誇らしいし頑張ろうって気持ちになる。
つくづく自分の興味関心は、理数や株などの実益系ではなく、芸術だったり文学系に偏っているなぁと再認識。
寝る前に、素敵な曲や言葉に触れると心地よく眠れそうな気がする。